【全体公開】プロポーズごっこ①

目次

登場人物

広瀬里美(ひろせさとみ):
本作のヒロイン。大学1年生。幼馴染みと幼少の頃からプロポーズごっこをしている。

倉橋正樹(くらはしまさき):
主人公。大学2年生。里美と幼馴染み。

本編

 里美に初めてプロポーズしたのは五歳のときだった。
 今思えば、これが良くなかったのかも知れない。これがなければ、里美が俺以外の男にプロポーズされることはなかった……などと思ってしまう。

「さとみしゃん、すきです。けっこんしてくだしゃい」

 舌足らずな声で言い切った俺に、里美は満面の笑みを返した。

「はい、よろこんで!」

 そのやり取りがどういう経緯で始まったのか覚えていない。
 ただ俺が求婚して里美が応じるという形だけが決まっていて、会うたびに飽きもせず繰り返していた。小学校に上がっても中学に入っても、俺たちの間にはその奇妙な儀式が残り続けている。

「里美、結婚してください」
「はい、よろこんでー!」

 互いの発音がまともになっても中身は変わらない。照れくさそうに目を逸らしながら答える里美の声だけが少しずつ低くなっていく。

「はい、喜んで!」

 それ以上のことは何も起きなかった。

 告白に発展するわけでもなく、恋人ごっこに変わるわけでもない。
 プロポーズごっこはただの思い出として俺たちの間にあるだけとなった。

 それから。

 くっつくこともないまま成長して、気づけば俺は大学2年生だ。
 里美は一つ下の1年生で、家が近いおかげで週に一度は顔を合わせていた。
 幼馴染み。誰に紹介するときもその一言で済む関係をずっと続けてきたし、それを不自然だと思ったこともない。

 そして、プロポーズごっこが変質したのは里美の方だった。

 いつの間にか里美はあの遊びを他人にまで持ち出すようになり、飲み会のたびに男を片端からひっかけては採点する「プロポーズごっこ魔」へ成長していたのだ。

 ある飲み会の席。
 少し離れた場所でビールを飲んでいた俺の視界に入ったのは、里美の前に並ぶ男たちの列だった。
 まず耳に届くのは、慣れ親しんだ里美の声だ。

「先輩、好きです。愛しています。結婚して下さい!」

 先輩とやらの目を見て、里美が笑顔で告白する。プロポーズごっこは、このセリフからスタートする。
 声がやけに通るせいで嫌でも耳に届いてしまう。

「えっ……えーっと。マジ? 里美ちゃん! めっちゃ可愛い。こちらこそよろしくっ!」

 一つ上の先輩が目を丸くしながらも鼻の下を伸ばして応じている。
 そりゃそうだ。こんな可愛い女の子に結婚してくださいと言われれば、大抵の男はすぐ陥落するだろう。
 里美の表情を見れば結果は明らかだ。唇の端だけで笑っている。あれは失格のサインである。

「……うーん、全然ダメ。0点」
「はぁっ?」
「じゃあ、さよなら」
「えっ……そ、そんな」

 知っていれば軽く流せるのだが、ごっこ遊びを知らない男は少なくない。
 里美は、美人、というか可愛いタイプであるがレベルは高い。
 そのルックスに釣られて本気にした挙句に酷評され振られるという被害者の山は、飲み会が進むごとに積み上がっていく。

「なあ、里美。それ、あんまりやらない方がいいんじゃないか?」

 さすがに見ていられず声をかけると、里美は大きな瞳をこちらに向けてきた。

「何? 心配してくれてるの?」
「いや、心配というか、百点の答えを返されたらどうするんだ?」

 何気なく聞いただけだ。だが里美は不意を突かれたように瞬いて、頬にうっすらと赤みが差した。

「ど、どうって……正解したら……け、結婚するわよ」

 周囲がどっとざわめく。
 酒の入った男たちが一斉に里美を取り囲み、正解は何だ、俺にもプロポーズしてくれと口々に騒ぎ始めた。

「分かったわ。でも一人一回ね」

 里美が指を一本立てて宣言すると列はさらに伸びる。
 俺はそれを少し離れた席から眺めながらビールを傾けていた。遊びに賭けが生まれてしまっている。百点を取ったら結婚する。里美がどこまで本気で言ったのかは分からないが、あの赤くなった頬だけは演技には見えなかった。

* * *

 数日後の昼休み。
 学食で隣に座った友人が何気ない口調で爆弾を落とした。

「なあ、聞いたか。里美ちゃんのプロポーズごっこ、百点取ったやつが現れたらしいぞ」

 スプーンが止まる。
 100点、つまり里美が合格を出したということだ。
 俺ではない男に。

「え……マジ?」
「ああ。二つ上の渡辺先輩。まあいきなり結婚ってわけにはいかないから、付き合うところから始めるらしいけど」

 友人はそれだけ言ってカレーを掬い上げている。

 里美が付き合う。先輩と。
 俺ではない男と——。

 目の前が暗くなっていた。胃の底が重く沈んで食欲が消える。口に入れたはずの米の味が分からない。

 ——何だ、これは?

 里美のことを幼馴染み以上に見てなかったはずだ。恋愛感情なんて持ったことがないと思っていた。なのに胸の奥が潰されるように痛くて息がうまくできない。

 嫉妬だった。

 認めたくない感情が喉の奥からせり上がってくる。
 里美が他の男の隣にいる。それだけのことが、こんなに苦しい。

「ごめん……今日帰るわ」

 食べかけのトレーを返却口に置いて大学を出た。
 帰り道の風景がいつもと同じはずなのにどこか歪んで見える。
 足が重い。頭の中で里美が他の男に抱かれるイメージが沸き吐き気を催す。

 アパートに戻っても落ち着けなかった。ベッドに座って天井を睨みながら、何度も同じところを往復する思考のなかで一つだけはっきりしたことがある。

 俺は里美が好きだ。前から、学生になるもっと前から。

 幼馴染みという言い訳でずっと蓋をしていただけで、たぶん子供の頃からずっと。
 もう遅いのかもしれない。先輩が百点を取ったのなら俺の出る幕はない。

 でも、今このまま黙って見送ったら一生後悔する。それだけは確信があった。

 震える指でスマホを取り出し、里美にメッセージを送る。
 明日会えないかと打ち込んで、送信ボタンを押す直前に三回書き直した。

 * * *

 翌日の夕方。
 待ち合わせに指定したのは近所の小さな公園だった。
 子供の頃に二人でよく遊んだ場所で、今は人が来ることもほとんどない。

「な、何……? 急に呼び出して」

 里美が小走りでやってきた。髪が肩で揺れている。
 大きな瞳がこちらを見上げていて、その表情にはわずかな不安と好奇心が混ざっている。

「里美のプロポーズごっこ、俺もやりたくて」
「えっ?」

 丸い瞳がさらに大きく見開かれる。

「だから、久しぶりにしようよ」
「……あー。う、うん。分かった」

 里美は一度視線を落としてから顔を上げた。
 妙に落ち着かない様子で身体を小さく揺らしている。唇を舐めて呼吸を整えようとしているのが分かった。頬がうっすらと色づいている。
 飲み会で男たちに向けていた態度とはまるで違う。まるで好きな男に告白する前の女の子のように見えた。

「こほん」

 里美にとって俺は幼馴染みでしかない。今までの関係を見ればそうとしか思えない。
 それに、つい先日、先輩と付き合うことを決めたのだ。もうキスくらいしたのだろうか。それ以上も?
 もう、玉砕覚悟だ。でも今ここで里美と向き合わなければ一生後悔する。

「好きです。愛しています。結婚して下さい!」

 里美はそう言って俺の目を真っ直ぐに見た。
 飲み会の時より心がこもっているような気がした。
 だったら俺も本気で挑む。深く息を吸い込んで、心の底から声を絞り出した。

「里美、ずっと……子供の頃からずっと好きだった、愛している」

 0点だ。そんなことは分かっている。捻りもオチも何も無い。
 里美は俺のことをただの幼馴染みだと思っているはずだ。先輩を選ぶくらいなのだから。
 でもこれでいい。俺は続けた。

「だから、結婚して欲しい」

 こうやって「ごっこ」をするのは、四、五年ぶりだろうか。
 最後にしたのは、いつだったろう? どちらにしても内容に進歩がない。
 でも本当の気持ちを伝えられたならそれだけで十分だと、そう思おうとした。
 目を瞑って、零点という宣告を待つ。
 しかし聞こえてきたのは採点の声ではなかった。

「ああ……ああ……」

 驚きとも戸惑いとも取れない声が漏れている。
 目を開けると、里美が両手のひらを頬に当てたまま立ち尽くしていた。瞳が大きく揺れていて、口元が何か言おうとして形をつくっては崩れるのを繰り返している。

「……なあ、点数は?」
「そ、そんな……私……」
「先輩には負けるだろうけど。0点か?」

 里美がふう、ふうと浅い息を繰り返して、ようやく言葉を紡ぎ出した。

「あのね……変な噂が立ってるけど、先輩とは別に何もないよ」
「えっ?」
「先輩はね、プロポーズごっこに答えなかったの。お前らがもどかしいって。なんか説教されて……何もないんだけど、次の日大学に行ったら変な噂が立ってて」
「ええっ?」

 噂はデタラメだった。俺はまんまと踊らされていたのだ。
 安堵と呆気なさが同時に押し寄せてきて、腰から力が抜けそうになる。

「でもね……さっきの返事を聞いてね」

 里美の声が小さく震えている。俯いたせいで栗色の毛先が頬にかかっていた。

「嬉しかった。私も……自分の気持ちに気づいたっていうか。誰かを好きになるってこと、やっとわかった。ううん、たぶん、ずっと前から……」

 口元がふにゃりと緩んで締まらない笑顔になっている。
 頬が耳の先まで赤い。泣きそうなのか笑っているのか分からない表情で、でもそれが里美の本音なのだと直感で分かった。
 俺も多分同じような顔をしているのだろう。口元の力が入らなくて勝手に笑ってしまう。

「で、でさ。俺、里美の返事聞いてないんだけど?」

 声が裏返りかけるのをどうにか抑えた。
 すると、里美が顔を上げて俺に向き直る。
 涙の膜が張った瞳が外灯の光を受けて光っていた。口を開いて、閉じて、もう一度大きく息を吸い込んでから、一言だけ告げる。


「はいっ、喜んで!」



* * *


 俺たちは、前そうしていたように二人で手を繋いで歩き、高揚が冷めないまま里美のアパートに着いた。
 ただ別れるのが嫌で、里美も同じだったのか自然と足が向いていた。
 玄関で靴を脱いでリビングに入る。
 里美が飲み物を出そうとキッチンに立ったが、手が震えてコップを落としそうになっている。

「いいよ、座ってて。俺が淹れるから」
「う、うん……」

 里美がソファに座って膝の上で手を握りしめている。
 お茶を二つ淹れてソファに並んで腰を下ろしたが、二人とも一口も飲まなかった。言葉も出ない。さっきまであれだけ喋っていたのに、二人きりの部屋に入った途端に空気が変わっていた。

「ねえ」
「ん」
「キス……したことある?」
「ない」
「私も」

 数秒の沈黙のあと、俺から距離を詰めた。
 里美の顔が近づいてくる。瞳を閉じかけた里美の睫毛が震えているのが見えて、胸の奥が締め付けられるように痛い。

 唇が触れた。

 柔らかくて温かくて、ほんの一瞬で離れてしまう。それだけのことなのに心臓が壊れそうなくらいうるさい。

「……っ」

 里美が両手で口元を覆った。耳まで真っ赤だ。

「どうだった? 里美」
「わ、分かんない。一瞬すぎて」
「じゃあ、もう一回」

 ちゅっ。ちゅっ。

 少し音を立てて続けた。何度も。
 キスを重ねるたびに里美の反応が変わっていく。
 耳の先まで赤くなった里美を見ていたら、腹の底から熱いものがせり上がってきた。

「……正樹」

 下の名前で呼ばれて背筋が震えた。こんな声で名前を呼ばれたのは初めてだ。

「里美」

 里美がこくりと頷いた。視線は逸らさなかった。
 手を取ってソファから立ち上がり、そのままベッドへ向かう。足取りは二人ともぎこちなくて、でも互いの指だけはしっかり絡まったままだった。

 薄暗い部屋にカーテン越しの街灯がぼんやりと差し込んでいる。
 繋いだ手を離さないまま里美をベッドに横たえた。里美の白い肌がその光を拾って淡く浮かび上がる。

(続く)

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